大判例

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東京高等裁判所 昭和45年(く)80号 決定 1970年6月01日

少年 D・T(昭二六・七・三一生)

K・SことY・S(昭二六・五・三生)

R・U(昭二六・一二・七生)

M・I・Q・IことQ・K(昭二七・二・二生)

主文

本件各抗告を棄却する。

理由

本件各抗告の趣意は、少年D・Tについては原処分が著しく不当であるということであり、その余の少年については、各附添人床件茂、松山正、望月千代子共同作成名義の各抗告理由書(以下第一理由書という)、同各補充書並びに附添人升田律芳作成名養の各抗告趣意書(以下第二趣意書という)に記載するとおりであるから、ここに、いずれもこれを引用する。

第一理由書第一の一憲法三一条、少年法二一条、二四条違反の主張について、

所論は、少年Y・S、同R・Uに対する原決定には、決定に影響を及ぼすべき法令違反がある。すなわち、原裁判所は、同少年らに対する窃盗保護事件について、少年法二一条所定の審判開始決定をせず、この非行事実を同少年らに対する強盗致傷等の非行事実と共に審判して、原処分の理由たる非行事実として認定しているのである。従つて、原裁判所の審判手続は少年法二一条に違反し、原決定は右二一条、二四条及び憲法三一条に違反し無効というべきであるというのである。

そこで、記録(浦和家庭裁判所昭和四四年少第九三三号ないし第九三五号記録)を調査してみるのに、少年K・SことY・S、同R・Uに対する各窃盗保護事件について、少年法二一条所定の審判開始をするについて、その旨の決定書の作成されていないことは所論のとおりである。然し、原裁判所が、昭和四五年二月二五日右少年らに対する前記各窃盗保護事件を、同少年らに対し既に審判開始決定のなされた各強盗致傷等保護事件(Y・Sについては、同庁昭和四五年少第一五〇号保護事件、R・Uについては、同第一四八号保護事件)に併合する旨の決定をしていることは、記録に徴し明らかなところである。そして、このように既に審判開始決定のなされている保護事件に併合決定がなされた場合には、併合された保護事件についても、既に審判開始決定のなされている保護事件と併せて審判する旨の黙示の審判開始決定がなされたものと解するのが相当であり、必ずしも併合決定前に、併合すべき事件について審判開始決定を経由しなければならないものと解する必要はないのである。してみると、右少年らに対する各窃盗保護事件については、黙示の審判開始決定がなされたものというべく、そして、前記併合決定を関係人に告知したことの記録上明らかな本件においては、右審判開始決定も又関係人に告知されたものというべく、原裁判所は、右少年らに対する各窃盗保護事件についてもまた審判することができるわけである。従つて、この点について、審判開始決定のなされていないことを前提とする所論はすべて理由がない。

同第一の二、三憲法一四条及び少年法二四条違反の主張について、

所論は、少年Y・S、同R・U、同Q・Kについては、同少年らが他の少年らと共謀のうえ行つた昭和四五年一月二五日の強盗致傷の非行事実につき、他の少年らとの間に、その行為の態様、非行歴、要保護性の程度等について、格別の径庭がないのに拘らず、他の少年らに対しては、保護観察処分をもつて臨み、本件少年らに対してのみ中等少年院送致決定の処分をしたことは、法の下の平等に反し、憲法一四条に違反し、かつ少年法二四条にも違反するというのである。

然し、犯情の類似した被告人間の処罰の差異が憲法一四条に違反するものでないことは、最高裁判所の判例の示すところであり(最高裁判所昭和二三年一〇月六日判決、集二巻一一号一二七五頁、同三三年一〇月二四日判決、集一二巻一四号三三八五頁参照)、右判例の趣旨に徹するときは、原決定が、少年Y・S、同R・U及び同Q・Kについて、所論の非行事実について、他の共犯に係る少年らと処遇を異にして、中等少年院送致の措置に出たことを目して、憲法一四条に違反するものということはできない(なお、後記の同少年らに対する処分が著しく不当であるとの論旨に対する判断参照)。そして、原決定が少年法二四条に違反するとの論旨は、右少年らに対する処分が著しく不当であるということを主張するに帰するものであるばかりでなく、少年に対する非行について、原裁判所の裁量に委ねられた保護処分の決定権限の行使を違法として、非難するものであり、右二四条違反の論旨は採るを得ない。

同第二の一、四事実誤認の主張について、

所論は、少年Y・S及び同R・Uに対する原判示の窃盗非行事実は、同少年らが、一時、ドライブの用に供するため他人所有の自動車を運び出したに過ぎないもので、不法領得の意思を欠き窃盗罪を構成するものでなく(第二の一)、又、少年R・U及び同Q・Kに対する各外国人登録証明書不携帯の非行事実は、いずれも過失を内容とするものであつて、保護処分の対象となる非行事実とするに当らない(同四)、というのである。

然し、記録を検討してみると、原決定の認定した所論の窃盗非行事実については、少年Y・S及び同R・Uは、昭和四四年八月二九日夜、友人のT・Z(当時一七歳)と共に、東松山市内で飲酒したり、パチンコ遊びをしたりして遊び暮し、当夜はいずれも帰宅しないつもりで同市内を徘徊するうち、熊谷市の方に出かけることに話がきまり、そのため何処かで自動車を手に入れようと相談のうえ、T・Zがエンジン・キイがなくても直結にして動かせるといつたことから、駐車中の自動車を物色することとし、同三〇日午前〇時四〇分ころ、原判示○田○充方屋敷の中に駐車してあつた自動車を引き出し、返還の意思なく、熊谷市方面に運転して出かけるため、T・Zがエンジンを直結にし、少年Y・Sが運転して出発しようとしたところ、エンジンが始動しなかつたため、少年R・UとT・Zが車の後を押して約五〇〇米位移動させるうちパトカーに発見逮捕されたというのである。そして、右のように、同少年らが原判示自動車を手に入れたのが、所論のとおり一時ドライブの用に供する目的で少年らの所有に帰属させる意思がなかつたとしても、右の如く所有者に返還の意思なく、乗り捨ての意思をもつて、他人所有の自動車を乗り廻わし使用するため、少年らの支配に移したときは、窃盗罪を構成するものというべく、これを窃盗罪に当らない、とする論旨は採るを得ない。次に、論旨は、外国人登録証明書不携帯の事実の如きは、保護処分の対象となる非行事実に当らないというが、それが当該少年らの過失を内容とするものであつても、保護処分の対象とならないという理由はなく、所論は、結局独自の見解であつて理由がない。

第一理由書記載のその余の抗告趣意及び同補充書記載の補充趣意並びに第二趣意書記載及び少年D・Tに対する各抗告趣意は、事実誤認を主張する部分もあるが、結局原決定の本件少年ら四名に対する処分は著しく不当である、というに帰する。

少年らに対する保護事件記録及び当該少年に対する調査記録を検討してみるのに、原決定が、少年Y・Sに対する原判示第一の強盗致傷の非行事実について、同少年がグループの中で指導的役割を果したと認定したことには、所論のとおり些か妥当を欠くものがあるが、同少年及びその余の少年について、原決定が処遇の理由として説示するところは首肯できるものというべく、すなわち、少年らの年齢、従来の生活態度、非行歴、家庭環境、並びにその各性格(当該少年に対する鑑別結果通知書、少年調査票参照)、本件処分の対象となつた各非行態様(少年Y・Sを除くその余の少年は、昭和四五年一月二五日深夜二回に亘り強盗傷人の非行に及んでいるのであり、そのうち、熊谷市内の強盗致傷の非行は、関係少年らが遊興費に不足するや、多数の力をたのみ、金員を強奪すべき相手方を物色して同市内を徘徊し、口実を設けて、歩行中の相手に対して各自原判示の暴行に及び、原判示の傷害を与えたうえ、その所有にかかる現金及び腕時計一個を強奪したものである。次に、同少年も加わつた原判示小諸市内の強盗致傷の非行事実は、少年らが所持金も乏しいのにスケートに行くべく二台の自動車に分乗して長野県に向う途中、原判示○留○雄他二名の自動車の追い越しの仕方が悪いとして、これに因縁をつけ、直ちに金品を強奪することを共謀し、○留らの自動車を追跡したうえ、多数の力をたのみ、原判示の如き執拗な暴行に及び、同人他二名に対し、それぞれ原判示の傷害を加えたうえ、同人らから原判示の各金品を強奪したもので、その各非行の態様は極めて悪質であり、反社会性の程度も著しく高いものというべきである)等、諸般の事情を勘案すると、所論の当該少年に対する利益な事情を参酌してみても、未だ、原決定が本件少年らに対し、所論の強盗致傷非行事実について共犯関係にある他の少年らと処遇を異にし、中等少年院送致の処分に出たことをもつて、処分が著しく不当であるとすることはできない。そして又、外国人である少年に対し、収容保護の処分をすることは不当であるとの所論も附添人独自の見解というべく、この点の論旨もいずれも理由がない。

よつて、本件各抗告は、いずれも理由がないので、少年法三三条一項によりこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 荒川正三郎 判事 谷口正孝 中久喜俊世)

参考一 (少年Y・Sに対する附添人弁護士床井茂、松井正、望月千世子作成の抗告理由書)

第一、(原決定には、決定に影響を及ぼすべき法令違反があるので取消されるべきである)

一、少年法二一条、二四条、憲法三一条違反による違法

1 少年法二一条は「家庭裁判所は、調査の結果、審判を開始するのが相当であると認めるときは、その旨の決定をしなければならない」とし、又、同法二四条一項は「家庭裁判所は……審判を開始した事件につき決定をもつて次に掲げる保護処分をしなければならない。……三少年院に送致すること」と規定している。

この注意は、要するに、「少年法は、保護処分以外の措置については、おおむね調査の結果行うことができるが、保護処分は、必ず審判を開始し、所定の手続をふんで審理判断した結果行うべきものとしている」(ポケット註釈全書新版少年法一九〇頁)ものである。従つて、審判開始決定がなければ審判期日等の審判手続もなく、又審判手続の結果である保護処分決定もあり得ない。

2 原決定には、審判開始決定をなさずに審判手続をなした違法があり、取消を免がれないものである。

即ち、Y・Sに対する送致決定書は、(非行事実)欄第二で窃盗事実を認定し、(処遇について)の欄で「前記第二の窃盗の非行で逮捕され、当庁で訓戒のうえ釈放されたこと……等の事実が認められ、その他……を併せ考える、と少年に対しては収容保護による矯正教育をはかるのが相当である。」と判示し、又、同じくR・Uに対する送致決定書も(非行事実)欄第四で窃盗事実を認定し、(処遇について)の欄で「前記第四の非行をなし逮捕され、当庁で訓戒釈放したこと……等の事実が認められ……を併せ考えると、少年に対しては収容保護による矯正教育をはかるのが相当である」と判示している。

しかし右窃盗事件については、原裁判所は何等審判開始決定をなしていないのである。その間の経緯は左記のとうりである。

昭和四四年九月一日付で右Y・S R・U両少年と少年T・Zの共犯による窃盗事件が原審裁判所に送致されY・S少年に対しては昭和四四年少第九三三号事件としてR・U少年に対しては同年少第九三五号事件として係属し若干の調査が行われたが、右T・Z少年に対しては観護措置決定がなされたものの抗告人である右Y・S、R・U少年については事案軽微と判断されたためであろうか一時帰宅を許されその後審判開始決定等何等の処分を受けずに経過したものである。その後、昭和四五年二月一〇日付で右抗告人両名に対する強盗致傷等の事件が原審に送致され、抗告人Y・Sについては同年少第一五〇号、抗告人R・Uについては同年少第一四八号として係属し、いずれも同年二月一六日審判開始決定がなされ、同年二月二五日、二六日と審判期日が開かれた。ところが、前記窃盗事件については、その後、審判開始決定がなされぬまま、同年二月二五日、いずれも右強盗致傷事件と併合決定がなされたものの、その後も窃盗事件についての審判開始決定が何等なされぬまま、右強盗致傷事件の審判期日である右二月二六日、窃盗事件について抗告人両名に若干の発問がなされただけで、同日、前述の如く窃盗事件の判断認定も含めての少年院送致決定が抗告人両名に対し告知されたものである。

3 少年審判規則二条一項により、審判開始決定は、裁判官の署名又は記名捺印した決定書を作成してなすべきであり、なお、便法として同条六項により、決定を調書に記載させて決定書に代えることができるものとされている。本件原審の一件記録から明らかなように、右決定書も作成されておらず、又、決定を記載した調書も存在しないから、審判開始決定がなされなかつたことは明白である。因みに、

「審判調書の証明力については何らの規定もおいていないが、刑事訴訟法の準用を認むべきであろう(刑訴五二条参照)」(前掲註釈全書二一五頁)とされているから、刑事訴訟法五二条の準用により、審判調書のみによつて審判開始決定の存否が認定されるべきである。

4 右の通り、窃盗事件については、審判開始決定がなされていないから、これに対して審判手続をなしても違法無効な行為にすぎず、勿論審判開始決定のなされていない窃盗事件について少年院送致の保護処分をなすことは許されず又、仮りになされてもかかる処分は違法無効なものと云わざるを得ない。

又、審判開始決定のなされた強盗致傷事件についても、審判関始決定のなされていない窃盗事件と併合してなされた審判手続は全体として違法な手続とならざるを得ず、いわんや審判することができない窃盗事件と一体となつて(非行事実)の事実摘示が行われ少年院送致決定を行つているのであるから、原決定は全体として不可分一体なものである以上、これ又違法無効な決定と云わざるを得ないものである。

結局、審判手続をとることができない状態にある窃盗事件と併合されて一体としてなされた爾後の手続、決定は全て違法無効なものであること明らかである。

5 以上のところから、原決定は、少年法二一条、二四条に違反し、ひいては、法の適正手続を定めた憲法三一条に違反する重大な瑕疵を有する決定として違法、取消されるべきものである。

二、憲法一四条違反による違法

原決定の(非行事実)欄記載から明らかな通り、本件非行の中心は、抗告人Y・S、同R・U、同Q・Kの三名を含む合計一二名の少年が、昭和四五年一月二五日午前、通行人に対し共謀の上殴つたり蹴つたりの暴行を加えて金品を奪い相手に怪我をさせ、更に、右一二名の者が二台の車に分乗してスケートに行くべく進行中、追越して行つた他の自動車の追越し方に憤慨したことから相手車輌の乗員三名に殴る蹴るの暴行を加えて金品を奪い相手に怪我をさせた、というものであつて、顔見知りの少年達が偶々集まり酒をのんだ勢いと集団心理で偶発的に起した非行事件であつて、行為の態様、非行歴、要保護性の有無、程度等はいずれも似たり寄つたりであつて、いずれも保護観察処分をもつて相当と思料されるものである。然かるに、一二名中八名については保護観察処分がなされたにも拘らず、抗告人三名と外一名計四名に対してだけ少年院送致決定がなされたものであつて、一二名の事件全体を対比するとき何故抗告人三名に対し少年院送致決定がなされたのか誠に理解し難いところである。

同種事案については同程度の処分をなすのが公平の原則である、ましてや、感受性の強い少年事件において、特段の事情も見当らず、むしろ或る面では他の八名より好い条件も見受けられる本件において、他の八名の少年とは一段と重い処分を受けしめることは不当に差別して重く処分されたと感じる少年に対し、効果ある矯正処置が構じられようはずがない。いわんや抗告人三名は、いずれも戦前、旧大日本帝国の朝鮮に対する植民地支配の時代に、日本に定着することを余儀なくされその後永年にわたる差別と偏見によつて苦しめられてきた在日朝鮮人子弟であつてかかる場合には一層このことが強調されるのである。いずれにしても、同種同程度の事案に対しては同種同程度の処分をなすことが公平の原則ひいては、法の下の平等を定めた憲法一四条の要請するところである。抗告人三名と保護観察処分で終つた八名の少年との事案対比の詳細は後述するが、原決定は法の下の平等に反して(非行事実)と要保護性、その程度の認定を誤まり不当に抗告人三名に対し重い処分をなしたものであつて、違法にして取消されるべきものである。

三、少年法二四条違反による違法

少年法二四条一項は、保護処分の種類として、<1>保護観察所の保護観察に付すること<2>救護院又は養護施設に送致すること<3>少年院に送致すること、の三つをあげ、家庭裁判所は審判を関始した事件につき、保護処分に付すべき場合は右のいずれかの処分をなすべきものとしている。

本件においては、抗告人三名につき、従来保護観察処分を一度も受けておらず、審判開始決定も一度も受けておらず今回が全く初めてであり、後述するような本件事案としては、当然保護観察処分をもつてとどめるのが適正な処分であつた。原決定は、非行の事実、要保護性の有無、程度の認定判断を誤り、保護観察処分の限度で相当とされる本件抗告人三名に対し少年院送致決定をなしたものであり、これは少年法二四条一項の選択適用において擬律を誤つた違法があるものである。

第二、原決定は、重大な事実誤認に基づくものである。

一、昭和四四年八月三〇日発生の自動車窃盗事件について

原決定は、Y・S、R・Uの二名について、非行事実として、自動車窃盗事件をあげているが、本窃盗事件を非行事実として、審判の対象にあげたことは、誤りであるといわざるを得ない。

まず、動機の点であるが、Y・Sは、以前から、軽免許をもち、軽四輪を乗りまわしていたが、同車が故障してからは、運転してみたくとも出来ぬ状態にあり、またさらに本事件の二週間前に普通免許をとり、スバルが手に入る筈になつていたのが、自動車会社の都合で遅れていたため、一度腕をためしてみたいという気持がせつであつた(現に翌日に車が届いたのである)。従つて、本窃盗事件は窃取によつて自動車を得ようとか、経済的利得を求める目的は、全然ないと云わねばならない。Y・S、R・Uとも、単に酒の入つた勢いで、ドライブしたいから、ちよつと借用しようとの軽い気持での行動であつて、軽卒とはいえても、動機において、悪質とはいえない。

従つて、本窃盗行為は、一般の窃盗とは、その態様を異にし、終局的に自分の所有あるいは、占有に収めようとの意思はないから、謂ゆる「使用窃盗」として把握されねばならない。

行為自体をみても、一般に窃盗は、秘密裡に、人目にかくれて行われるに対し、堂々と三人で車を押してゆくなど、誰でも「おやつ」と目をとめるような行為に出でている点、そして、そこをパトロール中の警察官にみつかつて、何の抵抗もかくしもせず、事実を認めている点、単純軽卒と笑えても、犯罪行為的な反社会性を見い出すことは、困難であるかかる事実を少年院送致決定の決定理由の一事実として補示することは、著しく不当といわざるを得ない。

二、Q・K少年及びR・U少年に対する非行事実第一についての事実誤認について

浦和地方裁判所熊谷支部のQ・K少年(以下Q少年という)及びR・U少年(以下R少年という)に対してなした送致決定(以下原決定)は第一の非行事実について、強盗傷人の認定をなし、他の各非行事実とあわせて、右各少年に中等少年院送致の決定をなしているのであるが、右非行事実の認定には重大な事実誤認があり、原決定は取消さねばならない。

すなわち、原決定は右非行事実第一の事実(以下本件事実という。)につきQ、R各少年につき指導的行動乃至は積極的行動の事実を認定し、少年院送致処遇理由の一要件と、みとめているのであるが本件記録一切を精査するに、右Q、R各少年に何ら他の共犯者たる少年すなわちA・N、S・T、D・T、T・R各少年の本件行為と比較して、より積極的指導的行動があつたと認めることはできないのである。

Q、R、A・N、S・T、D・T、T・Rの各供述調書及び各審判調書を総合すると、事前に本件一二名の少年の共謀があつたか否かは別として、昭和四五年一月二五日午前零時少し前に熊谷に到達した本件一二名の少年は二手に分れ、Qら六名が一グループを作り、出発したことが認められる。しかしながらそれ以降の行動については各共述調書及び各審判調書記載の各少年の行為に何ら優劣の差をみとめることはできない。すなわち、

D・T、T・R各少年が、まず被害者二人に声をかけて因縁をつけたこと、(D・T、T・R、Qの一月三〇日、一月三一日各共述調書)をきつかけに、Q、R、A・N、S・Tが加勢したこと、以後の各少年の行為を見ると

D・T少年は、「金を取れ」と命じた上、○田○幸から時計一個を奪つていること(少年の各共述調書)

T・R少年は、最初に声をかけて因縁をつけ、更に、被害者○田○幸の顔面を殴打していること

S・T少年は、被害者の背中・股をけり上げ、更ににげようとする被害者のコートをつかんでひきとめ、更に、そのコートを被害者の顔面にかけ、助けを求める同人の口をふさいでいること

A・N少年は、被害者の身体を二、三回殴打した上、同人を押えつけ、同人の背広のポケツトをさぐり、金をさがしていること

Q少年は、一回だけけり上げ、更に、R少年らが口を押えたところをA・N少年が被害者のポケツトをさぐつた上金をさがしたが見つからなかつたので、Q少年が被害者の背広をぬがせた上、ポケツトから金員をとつていること

R少年は、被害者をとらえ口をふさぐなどもつぱら被害者がにげられないような行為をなしていること

などが認められる。以上の各少年の行為を見るならば、D・Tが、金を取れと命じ自ら時計を奪つていることがらや、積極的指導的な面が見られないものではないが、それにしても際立つているものとは云えず、Q、R、A・N、T・R、S・T各少年にいたつては、何らそこに優劣の差があるものとはいえず、原決定が認定したとおりのQ少年の積極的行動がみとめられるとは云えない。Q少年が金員を奪つているにしてもそれは先にのべたとおり、D・N少年に命じられ、A・N少年らが、被害者のポケツトをさぐつて金員をさがしたが見つけることができないでいた後に、さがしたものであつて、たまたまQ少年がさがしだしたものであつて、Q少年の金員を奪つた行為を指して、他の各少年より積極的な評価を与えることはできない。したがつて、Q少年の本件における行為をさして、少年院送致の一部と評価した原決定は取消を免れない。

三、昭和四五年一月二五日小諸市内において発生した強盗致傷事件について

送致決定は、R・U、Q・Kについては、右非行において、自ら金員の奪取をなし、積極的行動に出ていること、Y・Sについては、右非行において、暴行々為に出ただけであるが、右非行に際し、グループの中で指導的役割を果し、また自己の自動車に木刀を持参していたこと等を処遇の理由としてあげているが、これは、本件非行の本質、態様、動機などを見誤り、他の八名に比して、右三名の本件非行における役割を不当に重く認定したものである。

(1) 先ず、一二人の少年相互の関係であるが、スケートにゆく話は、一月二三日(金曜日)O・G方に、Y・S、D・T、Rらが集まつた際四人の間でまとまつたもので、各々仲間をさそつてゆこうということになつた。従つて、一二人の少年相互間には、初対面あるいは、顔はみたことはあるが、話したことのない者もある。

例えば、R、Q共に、T・R、H・Oとは、初対面であつた。Y・Sにしろ、日ごろから附き合いのあるのは、R、Q及びGぐらいであり、D・Tについては、親から附き合うことを止められていた関係もあつて直接つき合うことはなかつた。

本件については、G方で偶然D・Tに会つたのである。したがつて、はじめてそろつた一二人の少年の中で、日ごろから、誰が指導的役割を演じていたかは、断じ難いことである。

原決定は、Y・Sが、本件非行に際し、指導的役割を果していると主張するが、何をもつてかかる根拠となすのであろうか。

まず、本件犯行の端緒であるが、これは、明らかにH・Oの運転するブルーバードに当時同乗していた、H・O、O・G、D・T、M・H、I・E、S・Tらが、被害者らの車が、ライトを上向きにして運転妨害をしたり、無理な追い越しをかけた後、後部座席の男が、両手を耳のあたりで振つて馬鹿にするようなゼスチヤーをしたことに腹をたて、追いかけて謝罪させようとしたことにある。

その間、R、Q他三名の同乗するY・S運転のスバルは、先に定つていたため、かかる事実は何も知らず、遅れた仲間の車を確水峠の中腹で待つていたところ、ようやく現われたブルーバードが、停車せずに通りすぎ、助手席のI・Eが、追えとの指図をしたので、理由はわからずに後を追つたものである。従つて、動機の形成にあたつては、R、Q、Y・Sの三名は、従属的役割しか演じていない。

(2) 次に、それでは、行為内容において、特に、R、Q、Y・Sの三名が、積極的行為に出でたのかどうか、他の者とくらべてみよう。

E・Y――頭突き、腹蹴り、顔面殴打各四、〇〇〇円をとる。

Q・K――顔面、腹など、五回位、殴る蹴るなどした。車の中にあつた財布をとる。

Y・S――二、三回、腹を殴る。

B・N――腕を逆手にとる。顔面殴打一回、ひざ蹴り二回、トランジスタ・ラジオを車から盗む。

T・R――あごを殴打一回、腰のあたりを一回蹴る。倒れた男のポケットをさぐる(内味はなかつた)。

I・E――走行中の相手方の車に、徳利を投げる。顔面殴打一回、胸および腹部を各一回づつ蹴る。

S・T――胸部殴打一回、ひざで首の辺を蹴る。

H・O――頭部殴打二回。

以上のように、暴行々為自体には、殆んど差異はない。また、金を直接に受取つたか否かによつて差異をもうけることは、かかる集団犯罪においては適当ではない。各々の車中において、がソリン代ぐらい出させてやろうとの意思の合致をみたことは、全員のみとめるところであるから、具体的に、各人が、車から降りた段階で、如何なる役割を果すかは、全くの偶然であり、取得したものは、その人個人の利得ではなく、全員の利益に帰するのであるから、直接に受取つたかどうかを処遇を決める重要事実にあげることは、少年の場合には、特に妥当を欠くことになる。

即ち、E・Yの場合には、無理やりに奪うというより、相手に、車まで財布をとりに行かせ、もつてきた財布の中から、四、〇〇〇円だけとつて、残りの八、〇〇〇円は相手も全部なくしては、困るだろうとの気持から、返したのである。これに対して、相手は、もつと返してくれと要求したのであるから、相手の意思をそれほど抑圧するような状況になかつたと、いうことが出来るであろう。またY・Sは、I・Eが、倒れて抵抗出来ぬ男を殴るのを「倒れているのを殴るのは、よせ」といつて止めており、同人の性質を少なからず、推測させるものであろう。

またQ・Kについては、自己の行為と、金銭奪取とは、直接関係はない。Y・Sが、金を手にしたのは、行為後逃走中、スバルがオーバーヒートして停車した際、各々、戦利品を出してならべたので、ガソリン代として預るといつたのであるが、これは、勿論、自分が利得する意思では毛頭なく、以前にツケにしたドライブインの支払のためにB・Nに三、〇〇〇円、他は、誰がもつていても同じだからということで、その場でRに渡している。

また、木刀の件を、原決定は、問題にしているが、木刀は、四四年秋ごろからトランクに入れたままになつていたものであり、本件事件とは、直接かかわり合いがない。木刀の所有者は、Y・SとRであるが、主にもち歩いて、威嚇していたのはB・Nであり、最後に車内にまで持ち込んだのもB・Nである。

Y・Sは、B・Nが振りまわしているのを見てそれはよせといつて止めたのであつた。

従つて、単に、本刀の所有者である故をもつて、実際に、それを持ち歩いて、脅しにつかつた者より責任が重いということは、明らかに、事実評価を誤るものといわざるを得ない。

四、原決定が、外国人登録法違反事件を本件非行事件に含ませ、少年院送致の理由の一つとしたことは重大な事実の誤認である

1 抗告人R・Uに対する原送致決定書は、その(非行事実)欄第三において「外国人(朝鮮)で外国人登録証明書の交付を受けているものであるが、同日午前七時一〇分頃、……番地先路上において、その外国人登録証明書を携帯していなかつた」事実を摘示し、(処遇について)の欄で「……本件非行の内容……を併せ考えると、少年に対しては収容保護による矯正教育をはかるのが相当である」と判示した。又、抗告人Q・Kに対する原送致決定書も同様、その(非行事実)欄第三において右同様の日時場所において外国人登録証明を携帯していなかつた事実を摘示し、右同様(処遇について)の欄で右不携帯の事実を非行事実として少年院送致の理由の一つとしている。

2 然かし、外国人登録証明書不携帯の事実を非行事実とし、少年院送致決定の理由としたのは重大な事実の誤認と云うべきである。登録証明書不携帯なる事実は、少年法上の保護処分の対象としての非行事実として一般に予定されている事実に該当しないものであり、保護処分の中でも最も重い処分である少年院送致の理由には何等ならないものである。

即ち、「非行のある少年と認定され、かつ保護処分の対象とされるためには、過去に非行の事実があつたというだけでなく、保護処分に際してその適格性もしくは必要性がなければならない。その中心となるものは、将来罪を犯す蓋然性または非行に陥る危険性である。その蓋然性が全然ないものに保護処分を課することはできない」(前掲註釈全書一六頁)とされている。

元来、登録証明書の携帯義務違反で携帯しなかつた行為というのは、単純且つ些細な注意義務違反の純然たる過失犯にすぎない。故意に登録証明書を自宅に置き忘れて外出する、ということは考えられない。本件において、抗告人Q・Kについて云えば、「スケートに誘われあわてて家を出たため自分の机の中に置いたまま小諸市内まで来てしまつたのです」(同人の昭和四五年一月二八日付共述調書=司法警察員に対するもの)ということであり、抗告人R・Uについて云えば「いつも作業服の胸左ポケットに入れて仕事に行つていたのですが一月二四日はO・G君の家に遊びに行つた時に洋服を着換えた時そのままわすれてしまつたのです」(同人の司法警察員に対する昭和四五年一月二九日付共述調書)というにすぎないのである。そこには、日常誰れにでもありがちな単なる忘れ物としての不作為があるだけであつて、少年院送致乃至は保護観察という保護処分によつて矯正することには全くなじまない行為である。登録証明書不携帯事実を少年院送致処分の対象としての非行事実及び要保護性認定の基礎事実とした原決定は重大な事実誤認を犯したものである。

特に附言するなら、抗告人R、同Q少年の如く、戦前から本邦で居住定着して生活してきた在日朝鮮人子弟に刑罰をもつて外国人登録証明書の携帯義務を課した現行外国人登録法は、立法論として間違つているとの意見があり充分根拠のあるものなのである。通常、外国人に対し登録させ証明書を携帯させるのは当該外国人の居住、身分関係の公正な管理に役立たしめようとするものとされている。日本に定着しておらない一時的入国をした外国人について証明書の携帯義務を課し罰則を設けるのはそれなりの理由があるが、抗告人の両親、兄弟等戦前から本邦で居住生活しており本邦に日本国民と同じく完全に生活基盤を築いている在日朝鮮人に対し登録証明書の常時携帯義務を課すことは本来無用であり酷とも云える。いわんや不携帯の場合の刑罰規定は一層不当というべきであろう(在日朝鮮人は、戦前からサンフランシスコ講和条約発効まで日本国民の一員とされていたのが、講和条約発効と同時に本人の意思に拘わりなく日本国籍を喪失し自動的に外国人となり、外国人としての携帯義務を課せられるに至つたものであり、この点からも単純な過失による不携帯を非行として評価するのは誤である)。

第三、抗告人に対してなした中等少年院送致処分の原決定は、著しい不当性があるから取消されなければならない。

いうまでもなく、家庭裁判所の保護手続は、少年に対して健全育成を期し、保護処分を行なうことを目的として進行する。その際、家庭裁判所裁判官は、少年に対して保護処分を行うべきか否か、行なおうとすればどの保護処分によるべきかについて直接審理し判断を下すのであるが、その審判の対象と、なるものは、非行事実と要保護性である。仮りに少年に非行事実が認定されても、その少年に何らかの保護が必要とされるかどうか(要保護性)が判断されねばならない。しかして右要保護性とは、犯罪危険性、矯正可能性、保護相当性を含む概念であることは今日通説となつている。すなわち、少年がたまたま非行にまきこまれても、それが一過性の非行であり、将来も非行を反復する危険性が認められないときは少年法上の保護を必要としないし、右の非行事実と犯罪的危険性が認められても、保護処分による矯正教育を施すことによつて、危険性を除去しうる可能性を判断しなければならない。更にたとえ累非行性・矯正可能性があつてもなおかつ福祉的措置に委ねるのを相当とするような場合には要保護性はないと云わねばならず、保護処分がなされる場合であつても、いかなる保護処分が最も有効適切であるかが考慮されねばならないのである。

そこで、原決定は抗告人たる少年に対し中等少年院送致の保護処分を決定したのであるが、右決定は非行事実、犯罪的危険性、保護相当性という審判の対象たる実体的要件について事実誤認があり、ひいては処分に著るしい不当性があるから、原決定は取消されねばならない。

一、本件非行事実は、盲動的な群衆心理に支配された衝動的な犯行であつて、将来非行を反覆するとは考えられない。

すなわち、当初スケートに行くつもりでG宅に集合した抗告人を含む一二名の少年は、それぞれ手持の金を集めたところが、三千数百円の金員しかなかつたので、スケートに行くことを一たんは断念し、G宅で飲酒の上、食事に関東ドライブインに行き、食事に飲酒としたのであるが、飲んでいるうちに血気さかんな少年達のことゆえ、つい熊谷市にくり出すことになつたのである、R、Q、Y・S各少年の共述によつても、熊谷には単に遊びに行くつもりであつたのであり決して最初からけんかの上金員を奪う目的があつたとは考えられない。

しかるに、酒を飲んでいたためつい気が大きくなり、本件非行に及んだものと思われるのである。成人であつても、飲酒状態においては、通常の精神状態が失われ、事件をひきおこすことがあることは認められるところであり、ましてや、それほど飲酒経験のない抗告人が正常な精神状態を失つていたことは充分に考えられる。その上、思慮分別が充分と云えない少年が一二人と集団で集まつた場合、その中で一番勇ましい意見が歓迎され、それに反対する者が卑怯者とそしられ、いご仲間はずれにされてしまうことは少年時代にありがちなことであつて、まさにそれは群集心理の一形態といわねばならないのである。一方、Y・S、Q、R各少年にとつて、本件非行時とくに金員を必要とする状態にはなかつたといわねばならない。Y・S少年は、充分な小遣が与えられ、Q少年も同様であり、R少年も職を持つて、充分な収入があつたのであり、とくにY・S少年は、両親に頼めば、スケートに行く費用はすぐ出してもらえたのである。

又小諸市内での非行(小諸事件)についていえば、追い越し禁止区域での無理な追い越し、を被害者がしている上に更に少年達をからかうなどの行動が、少年達を憤激させ、少年達は当初は単にあやまらせるつもりの行動が途中で金員を奪う行動に転化したのである、被害者側にもその責任の一半があるものと云わねばならない。

しかも小諸事件、熊谷事件にしてもある意味では一方的な喧嘩であつて罪名は強盗致傷という大げさなものであつてもその内容は単なるたかり、けんかであり、かかることは少年時代にありがちな行為と見なければならず、かかる行為をとらえて非行と判断し、中等少年院送致の処分をなすことは著るしい不当性があるといわねばならない。

二、本件事案における抗告人の役割及びAら八名に対する処分の比較からみた本件処分の著るしい不当性

抗告人と共犯関係にあつた少年に対する保護処分は次の通りである。

中等少年院送致……Y・S、Q・K、R・U、D・T

保護観察処分……A・N、M・H、I・E、H・O、B・N、O・G、S・T

試験観察処分……T・R

処分の内容は次の通りに分れているのであるが、保護処分の内容の多様化は、小諸事件、熊谷事件において各少年が果した役割を比較してみると、その不当性は否めない。

すなわち、すでに詳述したように小諸事件、熊谷事件を通して、各少年の非行内容に全く優劣の差がないことは一件記録から認められるところであり、抗告人が積極的役割を果したとして処遇の内容を定めた原決定が違法であることは論を待たない。

次に各少年の職業、家庭の職業、補導歴について比較してみると、

I・E 高校三年父・工員道交法違反(無免許運転)審判不開始

S・T 高校三年父・運転手、母・次事婦補導歴一回

D・T 高校三年父・なし、母・アパート経営なし

H・O 高校三年父・会社員、母・美容師なし

O・G 建築業手伝道交法違反一回父・建築業

B・N 縫製工母・やきとり店経営、父・死亡なし

T・R 高校三年生父・クリーニング店経営窃盗事件、暴行事件、各一回

M・H 高校三年父・運転手なし

A・N 高校三年父・酒屋なし

Y・S 高校三年父・遊技店経営補導歴五回

R・U 大工父・古物商補導歴一回

Q・K 高校三年父・会社員なし

以上見るとおり、共犯者一二名について家庭環境非行歴との比較においても大きな差を見い出すことは出来ない。とくに、T・R少年との比較においても、抗告人を中等少年院送致の決定をなした処分の不当性は明らかである。とくにQ・K少年は全く非行歴がないのである。

従来、抗告人は、全くいかなる保護処分も受けていないのであり、かかる少年に対し保護処分中、最も重い処分である少年院送致決定をなすことは、処分の著るしい不当性は、あきらかであると思われる。

三、本件非行の遠因-在日朝鮮人のおかれている境遇

抗告人は、いずれも朝鮮人であり、正当な処遇がなされなければならない外国人であることを原決定は看過している。すなわち、六〇万人といわれる在日朝鮮人は、終戦までは、日本の三六年間にわたる植民地支配の下において日本人とされながら、差別と偏見の中に「鮮人」と呼ばれて故郷朝鮮より徴兵、徴用により強制的に日本に連行されてきた人達又はその子孫である。これら在日朝鮮人は日本政府の差別と偏見と弾圧の中に生活苦の中にあえいでいる。抗告人も抗告人の親もまさにこの在日朝鮮人の一人なのである。本件非行の遠因も、まさにしいたげられた環境にあると思えるのである。朝鮮人とあなどられしいたげられてきた抗告人らは、心の中に対抗意識をもやし、日本人の子弟に負けまいとする反抗意識がなかつたとはいえない。保護処分の決定をするのに当然この点の配慮が必要であると云わねばならない。ましてや、本件非行の遠因が、かかる点にあるとするならば、朝鮮人に対する差別、偏見を除去し、在日朝鮮人を在外公民として処遇することが根本の解決をきたすのであつて、抗告人を少年院送致の名目をもつて社会からのかく離をなしても、かかる原因が除去されない限り、第二、第三のかかる事件がどこかに発生しないとは限らない。

しかも、本件非行の態様、形態、家庭環境、非行歴等において抗告人とA・Nら七名の少年と大差がみられないにもかかわらず、在日朝鮮人の子弟たるY・S、Q、R各少年を少年院に送致することは、日本人の中の差別感、偏見を助長させ、更に、Y・S、Q、R名少年にも不満を残し、ひいては処遇上の困難、矯正教育の困難とも結びつき今後の生活態度、反省にも悪い結果をもたらさざるを得ない。

四、抗告人の性格について

原決定は、抗告人の性格を処遇決定の一要因としているが、かかる性格は、思春期の少年にありがちなものであり、とくに抗告人のみに特有なものとは考えられず、少年院における矯正教育に待つよりは両親の待つあたたかい家庭においてきびしい在日朝鮮公民としての自覚を目ざめさせる中で矯正すべきであり、画一的な少年院の教育に待つことは、とくに在日朝鮮人の場合に不適当である。

五、家庭の保護能力、抗告人の反省、改悛の情が顕著に見られること

本件非行について、抗告人は審判調書の記載、少年院送致後に両親、学校の先生等に差し出した手紙、日記、文書等によれば二度とかかる非行を犯さない旨誓約し、本件犯行について深い反省をなしていること。そして、更生の機会を与えてほしいことを願つていること、Y・S、Q各少年については、大学進学を希望し、本年度の入学願書を提出していること、R少年については、すでに大工として三年の経験を有し、近い将来には建築士の資格を取得して独立して大工業務に従事するため、現在の勤務先である○子工務店に住込を希望していることなど、抗告人の改悛の情が顕著であり、かかる抗告人に対し、少年院送致の処分は著るしく不当である。

更に、抗告人の保護者もその家庭においてもきびしいしつけをなし、再度かかる非行をおこさぬような少年の指導監督に十分な熱意を有し、かつかかる保護能力の点において欠けるところはないものと見られるのである。

六、今後の抗告人の処遇について

すでにのべてきたように、抗告人を少年院送致の保護処分になすことは著るしく不当であることを主張したのであるが最後に抗告人をいかに処遇すべきかを更に考慮すべきである。抗告人は在日朝鮮人である。そして、差別と偏見は少年院内においても例外であり得ない。在日朝鮮人であることにより少年院内において差別待遇を受け更には他の収容されている少年達から好意をもつて見られず、その少年達からいじめられるであろうことは目に見えている。

このことは、少年院内における矯正教育の実をあげるどころか逆に悪化させかねない要素を多分に含んでいる。しかも、今まで一度も保護処分を受けていず、かつ又共犯者である他の八人の少年は抗告人より軽い処分を受けていることの不満は、在日朝鮮人に対する差別と受けとられその不満感、差別感は少年(抗告人)の将来に決して良い結果をもたらさない。

又社会通念として少年院送致は、決して保護処分と見られず少年に対する最も重い刑罰と見られており、少年院帰りは一種の前科者扱いにされ、特別な目をもつて見られている。そのことは、昭和四四年版犯罪白書(法務省)の少年院への再入者の比率の高さとなつてあらわれている。

すなわち、新収容者のうち、少年院に再入した者の数は、昭和四三年では、一、一四一人で、全新収容者の二一・三%にあたつており、再入者の占める割合は逐年わずかに増加している。とくに一八歳以上の少年について見るならば、その再入率は二六・七%の高さに達している。つまり四人に一人は、少年院に逆戻りしているのである。このことは少年院の現状が矯正教育の場ではない逆に前科者扱いをされ、世間一般から白い眼で見られ、つまはじきされていることを示すものであるといわざるを得ない。とくに抗告人が在日朝鮮人という特殊事情をもつものであれば、その辺の感じは更に倍加するであろう。

本件においては、少年に対する保護能力更生能力は十分であり、更に少年が反省悔悟している現状で一度保護処分を受けていない少年を一足とびに保護処分中もつとも重い少年院送致の決定をなした原決定の処分は著るしく不当であるといわざるを得ない。

以上のべたとおり、原決定の処分は著るしく不当であり、取消を免れない。以上

参考二 (少年Y・Sに対する附添人弁護士床井茂、松井正、望月千世子作成の抗告理由補充書)

第一、Y・S、Q・K、R・Uの三名は、朝鮮籍をもつ外国人である。従つて少年法に基づく少年に対する処遇が、成人に対する刑罰と異なり、強度に教育的観点が重視され、明確に、矯正を目的とする以上、少年らが、外国人であるという特性を無視しては、少年らに対する処遇を決めることは出来ない。

少年らの親は、戦前から日本に居住し、少年らは、日本で生まれ、育つている。故に、国籍は異るとはいえ、少年らの意識面では、殆んど日本人的であり、自国に対する自覚は、極めて乏しいといわねばならない。そのうえ、少年らの父親は、戦前、日本の軍国主義政策の犠牲者として、強制徴用の名の下に、若いとき、日本に連行され、苦渋にみちた青春時代を送つた者達である。そして、その際、求められたのは、日本社会への同化であり、民族性を忘れ、エセ日本人になることであつた。正に、同化政策、そして同化教育が理想とされたのである。

かかる状況の下に、現実には、差別と偏見に取り囲まれながら、不幸な青春を送り、やがて家庭をもち、親となつた、少年らの親にとつて、真の教育とは何か、どうやつて子供らに正しい生き方を教えたらよいのか、全く五里霧中であつたにちがいない。

親が真の教育の観点を失つていたことの生写しのように、三人の少年は半日本人であり、現在の日本社会の悪い面の影響を、強くうけているのである。しかも、社会に根強い偏見のあるだけ、日本人の少年とは、格段に、困難な立場にたたされていると言わざるを得ない。

日本人なら、頭がよければ、そして、勉強して大学でも卒業すれば、それ相応な職業に就き、相応な暮しが出来るであろう。

しかし、朝鮮人の場合には、頭がよく、勉強が出来れば、出来るだけ、悲劇的にうけとられるのが、現実である。先ず、公務員は勿論、一流会社で雇うところは、皆無である。

Y・Sが、たとえ、高校きつての秀才で、大学を優秀な成績で卒業しようとも、彼は、結局は、父の職業を継ぐ以外にないであろうし、Q・Kにしろ、父の仕事以上の仕事につくことは困難であろう。

社会が彼等の希望を断ちながら、真面目になれ、勉強せよ、ということは、何と残酷な話であろうか。

第二、少年院の教育はあくまで、日本人の少年に適合した、教育である。それは、戦前、少年らの親に向けられた同化教育と同じものであり、少年らの、半日本人的性格を、増長させるだけである。それは、少年らを決して更生させることにはならない。少年らは、再び社会に戻り、その半日本人的性格の故に、結局は日本社会に受けいれられざる、外国人として、増々、その犯罪性を強くしてゆくであろう。

少年らを、真に更生させる道は、少年らに、その根強い半日本人としての性格をきつぱり捨てさせることである。そして朝鮮民族としての誇りと自覚をもたせ、それを行動の指針とさせることである。

その手段は、何か。それは、朝鮮民族自身による民族教育以外にない。

日本政府は、現在、残念ながら、民族教育に対して、その朝鮮人問題を治安問題としてとらえる立場から、否定的・弾圧的態度をとつている。

しかし、朝鮮民族の中にある半日本人的思想・植民地奴隷思想を行破し、主体性・自主性を回復することこそ、真に、日本社会にとつても望ましいことであり、真の友誼は、その上に基づかれるといつても過言ではない。

現在、自主的民族教育が行われている教育機関は、初級学校から朝鮮大学校まで一四五校の外に、特に指導を必要とする者達のために、合宿して集団教育をする場も設けられており、少年らにとつては、かかる組織の適切な指導者による教育監督こそ、真の更生への道につながるものであると確信する。以上

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